2014年12月18日木曜日

第九に向き合う

こんにちは!
年末は第九。これは日本だけの珍現象?これまで約60年間毎年必ずと言ってもいい位聴いてきた第九を自分で指揮してやることになりました!70歳にしてやっと第九を少しは振れることを決意しました。指揮を始めて20年、やっとお許しがでたのです。分厚い第九のスコアを買ったのが今から15年前。恐る恐るスコアを開いてはため息ばかりの日が続き、その異常なまでの複雑な楽譜に、私を寄せ付けないあまりにも困難な絶壁を感じたのが60歳の時でした。軽装の登山家がいきなりエベレストに臨むような感じ。あんなに聴いてきた第九がいざスコアを前に、なんでこんな難しいの!ものすごい量の音符の群れ!そんな表面的なことはさておき、この4楽章はどんな流れ?構成?分からないことだらけ。音楽には必ず作曲家のメッセージがあると思うのです。1楽章だけでも中身が濃すぎなんです。で出しの弦の刻みだけでもなんで?混沌とした宇宙?そこに一筋の光、いなずが走る?ベートーベンは一体何を表現したかったのか?何を感じたのか?第九の初めから神秘なのです。稲妻が一気に増幅されだだ〜んと強烈な雷が大地を叩きつけるような。僅か数十秒で大自然というか宇宙の中に身を置くことになってしまいそう。そんな第九はもうちょっとやそっと手を出せる曲ではない。怪物なんです。二つの交響曲の作曲を進めていたベートーベンが最終的に一つに纏めたと言われる第九はとてつもない世界観と人生観とが自然界と裸で向きあった時に思う、感じるものを音楽に表現したものではないでしょうか。全く耳が聴こえなくなっていた50代晩年にベートーベンが感じる世界観をどう想像しうるか、指揮以前の問題なのかと思うと自分がとても小さな未熟者に思えてきます。
宮城敬雄